
■石川秀樹『試験攻略 新・経済学入門塾Ⅰマクロ編』(中央経済社)を読了。
■石川秀樹『試験攻略 新・経済学入門塾Ⅱミクロ編』(中央経済社)を読了。
とても学びやすい。
ピザのデリバリーのバイトが終わったら、すぐさま夜っぴて彼女とセックスに勤しんで、寝ぼけマナコでキャンパスへ。
そんな経済学部の大学生が過ごす丸々4年間、小なり当該2冊、といったところである。
「演じることしかできない」
「描くことしかできない」
「歌うことしかできない」
こうした文辞あるいは発言が、震災以降よく聞かれるようになったと思うのは自分だけではないだろう。
この構文の最小単位は上記のようなもので、
「○○することしかできない」が原則的な文型である。
たまに主語が冒頭に挿入されて、
「私は、歌うことしかできない」
などと変化したり、時に間に副詞が入り、
「私は、やはり、歌うことしかできない」と変化することもある。
副詞が挿入されることで、ぐっと信憑性が増すことが分かる好例である。
また、現在形から過去形になることで、既に何らかの製品や商品が作成済みであると解することができる例も多い。
「私は、やはり、歌うことしかできなかった」
さらに語尾を少し詠嘆調に変化させれば、かなり完成された言い回しになってくる。
「私は、やはり、歌うことしかできなかったんですよねー」
主語を複数形にしてみてもいい。
「俺たちは、やはり、歌うことしかできなかったんですよねー」
言葉を変化させればそれだけイメージも、飴細工のように変化して行くのが面白い。
言語学が廃れずに永らえているのも、もしかしたらこんな単純な興味が下支えになっているからかも知れない。
後は文脈をそれっぽく付加すれば、かなり巧緻で小賢しく単なる金儲けが底意として着床している馬鹿丸出しの発言になる。
「あの大地震が起きてから、テレビとかで津波の映像がバンバン流れて、かなり悲惨な目に遭っている東北の人たちを見たんすよね。見れば見るほどなんか自分がどんどん小さくなっていくっていうか、自然の恐ろしさ、人間なんてやっぱ自然の前では、ほんとちっぽけな存在なんだなーって。それで俺、すぐAに電話したんすよ(ここでAとは発言者の所属集団内の構成員)。見てみろって。はい、見てみろって言いました。とにかくこのテレビの映像を目に焼き付けろって。俺たちがどんだけちっぽけな存在かが分かるから、今すぐテレビにかじりつけって言ったんすよ。それからかなり長い間、メンバーと色んな話しをしましたね。意外に思うかも知れないんすけど、普段はそんなに会わないこいつらとしばらく一緒に過ごしました。合宿みたいで楽しかったですね。で、やっぱりかなり語ったんすよね。色んなことを。いや、ほとんど人生についてです。でもどんだけ考えても答えなんてないんすよね(苦笑)。人生の答えなんて分かるわけないっすよ。でも一つだけ、これかな、って思ったことはありますね。今俺たちにできることは何なのか。人生の答えなんてそんなでかいことは分かんないけど、今、そうまさにこの瞬間、今俺たちには何ができるだろうって、考えた時、やっぱ、思いましたよねー。歌うことしか出来ないって。俺たちは、やっぱ、歌うことしかできなかったんですよねー」